帯は、小袖のような前合わせの衣服をまとめるために不可欠な衣料であり、江戸時代初期には「実用的なもの」だった。その帯の幅が広くなり、帯地が豪華になっていくことで、女性のファッションの中心となった。帯の結び位置も、「前」「後ろ」「脇」などがあったが、「後ろ」に定着した。帯地は、綸子(りんず)、紗綾(さや)、繻子(しゅす)、緞子(どんす)、錦(にしき)、金襴(きんらん)、ビロードなどが贅沢(ぜいたく)に用いられ、花鳥や物語絵などの文様が織られた。結び方も、立結、島原結、一つ結、だらり結など、さまざまな結び方が工夫され、複雑な結び方を可能にするため、6尺(約1.8m)ほどだったものが1丈3尺(約3.9m)にまで長くなった。ある大名屋敷に奉公した青梅地方の名主の娘は、知人から紹介された上方誂(あつら)えのビロードの帯地を一生モノだからと衝動買いしている。そして、父親に、自分の貯金から1両2分は出すので、残りの2両を出してほしいとねだっているが、帯地の代金3両2分は物にしては安かったようだ。
小袖(こそで)
袖口を小さく縫い詰めたもので、江戸時代の表着で一般的なもの。古くは上流階級の肌着として用いられたが、室町時代(1336〜1573)から表着として普及していった。
大名(だいみょう)
将軍の直臣のうち、1万石以上の知行(ちぎょう。幕府や藩が家臣に与える、領地から年貢などを徴収する権利)を与えられた武士。