江戸時代、既婚の女性が歯に施した黒い化粧。鉄漿(かね)ともいった。お歯黒は、酢・酒・米のとぎ汁などに釘などを入れて作ったお歯黒水と、タンニンが主成分の五倍子粉(ごふしのこ)を、筆で歯に交互に塗り付けた。お歯黒水はたいへんくさく、朝、家の者が起きる前に使ったという。黒は他の色に染まらないということから、貞女の証として慣習になったとされる。お歯黒は、幕末、日本に来た外国人の評判が悪く、「日本の未婚の娘はたいへんかわいいのに、結婚すると醜くなる」とされ、アメリカ使節のマシュー・ペリーも「この習慣が夫婦の幸せに貢献することはないように、我々には思える。接吻は求婚時代に終わってしまうのだろう」と否定的に書いている。明治時代(1868~1912)になると、外国への配慮のためか、お歯黒は禁止され、徐々にすたれる。ちなみに、庶民の女性は、子どもが産まれると、眉を剃った。