女性の髪を結う、女性の髪結職人。江戸時代初期までは、女性は髪を束ねるぐらいで、髪を結う習慣はなかったが、正保・慶安(1644~52)のころ、鬢付油(びんづけあぶら)が考案され、女性の髪が精緻(せいち)に結われるようになった。江戸吉原の遊女・勝山(かつやま)が始めたという、後頭部で結った髷で前方に向けて輪を作る勝山髷は、一般にも大流行した。遊女の髪は男性の髪結が結ったが、一般の女性は自分で器用に髪を結った。もとより、自分で自分の髪を結うのには限界があり、18世紀末、女髪結が現れた。女髪結は、巧みに女性の髪を結ったので、これが流行した。一方で、髪は自分で結うべきものという意識は依然として根強く、他人に結ってもらうのは恥だとされたから、武家の妻女や堅い町家では女髪結に髪を結わせることを卑(いや)しんだ。世間での女髪結の流行につれて、女性の髪形はますます華美になり、幕府は「風俗を乱す」として、寛政7年(1795)、華美な髪形の禁止とともに女髪結の禁令を出すまでになった。しかし、奢侈(しゃし。贅沢[ぜいたく])に流れる世相の中で、女髪結の禁令は有名無実となり、再び女髪結が行われるようになった。
鬢付油(びんづけあぶら)
椿油などで作る、髪結いのための油。整髪料にしては固く、型崩れが起こりづらいことから、今日の相撲の力士が髪を結うときにも用いられている。
吉原(よしわら)
元和3年(1617)にできた幕府公認の遊郭で、日本橋葺屋町の一部に、家康の許可を得て開設された。明暦3年(1657)8月、浅草寺裏に移転。
幕府(ばくふ)
武家の政府で、もともとは近衛大将や征夷大将軍の居所を指したが、鎌倉幕府以来、征夷大将軍に任じられた武家が政治を行う場所やその政府のことをいった。