盛り場や祭りの縁日などで、曲芸や珍しいものを見せる興行。江戸時代後期、江戸の両国や浅草、大坂の難波新地などの盛り場では見世物が行われた。見世物には、軽業(かるわざ)・曲馬(きょくば)・力持ちなどの曲芸、動物見世物、細工見世物などがあった。曲芸のレベルは世界的水準にあり、軽業師の早竹虎吉(はやたけとらきち)は慶応3年(1867)にアメリカに渡り、サンフランシスコで興行して評判となった。一方、文政4年(1821)に両国で行われた駱駝(らくだ)の見世物は大当たりで、数十万人もの観客を動員した。この駱駝は、オランダ船がアラビアから長崎に舶載したものである。万延元年(1860)、江戸勤番の紀州藩士・酒井伴四郎(さかいはんしろう)は、両国で虎(実は豹)の見世物を見ている。この興行では、700文出せば、オリの中に鶏を入れ、虎に鶏を食べさせる様子を見物できた。また、文久3年(1863)に興行された両国の象の見世物も大人気だった。細工の妙技を生で見せる細工見世物では、文政2年(1819)に浅草で興行された籠細工(かございく)が大当たりした。ここでは、『三国志』の関羽(かんう)などの数十体の巨大な人形が、籠で作られていた。幕末には、人間の肌そっくりに作られた生人形(いきにんぎょう)が人気を博した。このほか、女相撲や、女性の陰部を露出する芸、蛇女・鬼娘・福助など、人間を見世物とするものもあった。
盛り場(さかりば)
娯楽施設や商店、飲食店などが集まり、大勢の人でにぎわう地域。多くの人口を抱える江戸では、木挽町(東銀座)や浅草寺の寺社門前などをはじめ、さまざまな見世(店)や芝居小屋などが並んでいた。