江戸時代、日本において独自に発展した数学。寛永年間(1624~44)、京都の吉田光由(よしだみつよし)が書いた初等数学の解説書である『塵劫記(じんごうき)』が和算発展の基礎となった。商売だけでなく、測量や普請(ふしん。土木工事)などに必要とされた数学は、各地に広まっていった。甲府藩の勘定吟味役(のち幕臣)だった関孝和(せきたかかず)は、円周率などの研究で天才的な業績を残し、複雑な方程式の解法を得て『発微算法(はつびさんぽう)』などの著書を著し、和算を完成させた。その後、和算の世界は大衆化が進み、各地に和算の流派ができた。庶民を含む和算家たちは、問題の出題と解答を趣味とするようになり、実学としての発展に乏しかったともいわれるが、和算家の中には航海術や砲術などの軍事科学のため西洋数学を導入する動きもあった。