心学は、江戸時代中期、石田梅岩(いしだばいがん)が京都で始めた人生哲学で、庶民を相手とした社会教化運動に発展した。朱子学や陽明学も心学という場合があるため、梅岩とその門流によって広められた学問を石門心学と呼ぶ。心学は、「商人の活動に積極的な意義を認め、正直な利潤追求を正当なもの」とし、さらに「武士、商人、職人、農民が人間として平等なものであることを説き、それぞれの日常の営みの中で道に到達できる」とした。梅岩の死後、門人(門弟)の手島堵庵(てじまとあん)らは、各地に講舎を設け、講師の資格を認定して心学の普及をはかった。堵庵の特徴は、梅岩にあった社会批判的要素を取り除き、自己反省を主とする精神修養の教えとしたことである。のちに「道話(どうわ)」と呼ばれる講釈は、庶民にもわかりやすい例え話により、人間として行うべき道徳を教えた。堵庵の門人・中沢道二(なかざわどうに)は、関東にも心学を広め、『鬼平犯科帳』で知られる長谷川平蔵が作った人足寄場に収容された無宿人に講義もしている。
朱子学(しゅしがく)
中国の南宋(なんそう。1127〜1279)の時代に朱熹(しゅき。尊称は朱子[しゅし])によって完成された儒教の新学派で、中国では朱子学が主流になった。日本における儒学の基礎でもある。
陽明学(ようめいがく)
中国の明の時代(1368〜1644)、王陽明(1472〜1528)が唱えた儒教の一派。
武士(ぶし)
平安時代(794〜12世紀末)後期に生まれた、戦いを任務とする者。鎌倉時代以降、武士が政権を握ったため、支配階級として政治をも担当することになった。
人足寄場(にんそくよせば)
寛政2年(1790)、幕府が江戸の石川島に設置した、無宿人や軽犯罪者などを収容して働かせた施設。
無宿(むしゅく)
決まった住居や生業をもたず、人別帳への登録もなされていない者。