蘭方医・緒方洪庵(おがたこうあん)が、大坂に開いた蘭学塾。洪庵の号が適々斎(てきてきさい)だったので、適々斎塾、適々塾ともいう。天保9年(1838)、大坂瓦町に開塾し、同14年には過書町(現・大阪市中央区北浜3丁目)に移転した。塾は普通の町屋で、1階は教室、2階は塾生の寮や自習室があった。塾生は、塾頭のもとに成績で等級に分けられた。このため、塾の南側にあった洪庵の自宅の2階にあるヅーフ部屋で、その呼び名の由来となった蘭和辞書『ヅーフ・ハルマ(Doeff-Halma dictionary)(長崎ハルマ)』を奪い合うようにして予習したという。適塾には、幕末にいたる20年間で全国から600余人もの塾生が集まった。もともとは医学を学ぶための塾だが、砲術などの軍事科学を学ぶためオランダ語を習得しようという武士階層の者も多かった。塾生の中からは、大村益次郎(おおむらますじろう)、橋本左内(はしもとさない)、高松凌雲(たかまつりょううん)、箕作秋坪(みつくりしゅうへい)、福沢諭吉(ふくざわゆきち)、佐野常民(さのつねたみ)らが出て、幕末から明治維新期に活躍した。
武士(ぶし)
平安時代(794〜12世紀末)後期に生まれた、戦いを任務とする者。鎌倉時代以降、武士が政権を握ったため、支配階級として政治をも担当することになった。