諜報活動や謀略活動を行うために発展した忍術を使う者で、忍び(しのび)などともいう。戦国時代、戦国大名の諜報活動を担ったのはスッパ(水波;透波)である。スッパは、近江・美濃地域から出た山賊・夜盗の類だが、戦国大名から食禄をもらい、斥候や夜討ち・放火などの奇襲部隊として戦場に出没した。豊臣秀吉の「小田原攻め(1590)」以降、スッパは姿を消し、忍者が登場する。忍者は、伊賀流、甲賀流という流派に見られるように、鈴鹿山系に生まれた山岳奇襲部隊である。この地域は、戦国大名の支配下には置かれなかったが、地侍たちによって盛んに戦闘が行われた。これを通して磨き上げられたのが忍術である。忍者は、たえず身体を鍛練し、孫子などの兵法を学び、忍びの技術を研鑽(けんさん)した。江戸幕府が成立すると、伊賀、甲賀の忍者は幕府に組織され、忍術の技術も廃(すた)れていった。ところが、歌舞伎で忍術ものが上演され、また忍者を自称する奇術師が登場して、手品のような忍法を披露し庶民の喝采を得るようにもなった。近代になると、講談の世界で忍者は人気者となり、明治44(1911)~大正12(23)年にかけて人気を博した講談本シリーズ「立川文庫」では、実際にはあり得ない忍法をもって戦う忍者像が描かれることになる。
忍術(にんじゅつ)
諜報活動や謀略活動を行うために発展した術技。忍術の起源は、鈴鹿山系に生まれた山岳ゲリラ戦法であり、夜討ち・放火・潜入などが発達していた一方、経験科学的な各種の方法が確立されていた。
幕府(ばくふ)
武家の政府で、もともとは近衛大将や征夷大将軍の居所を指したが、鎌倉幕府以来、征夷大将軍に任じられた武家が政治を行う場所やその政府のことをいった。