町屋敷は、間口が3間半(約6m)~10間(約18m)ほど、奥行きが20間(約36m)ほどの細長い構造になっている。通りに面した貸家を表店といい、表店と表店の間にある木戸を入り、路地を行くと、奥に何棟かの長屋が建てられている。これを裏店という。裏店の奥は空き地か下水で、他町と背中合わせになっている。ここを通り抜けて他町に出ることもできた。表店には商店がならび、裏店には振売(ふりうり。棒手振[ぼてふり]ともいう)などの小商人や大工などの職人が居住した。浪人、諸芸の師匠、産婆、盲人なども多くは裏店に居住した。長屋の一室は狭いもので九尺二間(約2.7m×3.6m)、戸口を入ると竃(かまど)と土間(どま)があり、奥に畳の部屋があった。長屋に雪隠(せっちん。便所)はなく、外に総雪隠と呼ばれる共同の便所があり、また炊事や洗濯のための井戸やごみ溜(ため)があった。ごみ溜にたまったごみは、町内の集積場である大芥溜(おおあくただめ)に捨てられるか、河岸端(かしばた)近くに持ちだされ、幕府が指定した業者による塵芥船(じんかいせん)がそれを回収して、永代島(現・江東区佐賀町付近)に捨てた。
振売(ふりうり)
籠(かご)に商品を入れて、道を売り歩く、店舗を持たない零細な商人。棒手振(ぼてふり)ともいう。
浪人(ろうにん)
主君を持たない武士。領地や地位、俸禄などを失って落ちぶれた「牢籠(ろうろう)」の身にあることから、本来は「牢人」と書いた。
雪隠(せっちん)
便所のことで、厠(かわや)ともいった。江戸時代前期までは排泄物をそのまま流す構造で、河岸端(かしばた)や下水の上に小屋を作って雪隠とすることが多かったが、糞尿が肥料となり、農民が買い取ったため、壺などにためる構造となっていった。
幕府(ばくふ)
武家の政府で、もともとは近衛大将や征夷大将軍の居所を指したが、鎌倉幕府以来、征夷大将軍に任じられた武家が政治を行う場所やその政府のことをいった。