便所のこと。厠(かわや)ともいう。江戸時代前期では、河岸端(かしばた)や下水の上に小屋を作って雪隠とすることが多かった。排泄物をそのまま流す構造で、廃棄する手間が省けたので行われたものであろう。これは、しばしば、町触(まちぶれ)によって禁止された。しかし一方で、糞尿は下肥(しもごえ)と呼ばれ、蔬菜(そさい。野菜や作物になる植物)作りなどの有効な肥料だったので、ためておけば農民が買い取ってくれた。そのため、長屋の各部屋に雪隠を作らず、共同の雪隠を作り、その収入は家主のものになった。18世紀半ば、下肥の買い取り値段は、1荷で銭32文になった。江戸近郊農村での蔬菜作りが盛んになると、下肥の値段も高騰し、農民の経営を圧迫するようにもなった。大名の江戸屋敷では、農民に掃除をさせる代わりに下肥を与えていたが、これを入札に切り替え、財政の足しにするようになった。雪隠には糞尿をためるため、壺がいけられるようになった。盛り場では、公共の便所がないので、貸し雪隠が設けられた。1人5文ほどだが、ためた糞尿はお金になるので、無料のところもあった。
町触(まちぶれ)
幕府、あるいは大名から町民に向けて発せられた法令。
大名(だいみょう)
将軍の直臣のうち、1万石以上の知行(ちぎょう。幕府や藩が家臣に与える、領地から年貢などを徴収する権利)を与えられた武士。