江戸の町道場のうち、北辰一刀流(ほくしんいっとうりゅう)・千葉周作(ちばしゅうさく)による玄武館(げんぶかん)、神道無念流(しんどうむねんりゅう)・斎藤弥九郎(さいとうやくろう)による練兵館(れんぺいかん)、鏡新明智流(きょうしんめいちりゅう)・桃井春蔵(もものいしゅんぞう)による士学館(しがくかん)の三道場をいう。「技は千葉、力は斎藤、位は桃井」と称された。玄武館は、文政8年(1825)、神田お玉ケ池に開設され、千葉周作の指導力と免許皆伝までの費用が安いことで多くの門人(門弟)が入門した。練兵館は文政9年(1826)の開設で、最初は神田俎橋(まないたばし)、のち麹町三番町(現・靖国神社境内)に移転した。京橋・蜊河岸(あさりがし)にあった士学館は、4代目・桃井春蔵が引き継いでから隆盛になった。千葉周作は、防具と竹刀を開発・改良し、実践的な稽古(けいこ)を活発化させた。このため、道場間の試合が盛んに行われるようになり、大名たちが屋敷を試合会場として楽しむようになった。司馬遼太郎の小説『竜馬がゆく』では、練兵館塾頭で長州藩士である桂小五郎(かつらこごろう。のちの木戸孝允[きどたかよし])、千葉周作の弟である千葉定吉(ちばさだきち)の桶町道場の坂本龍馬(さかもとりょうま)が、道場間の対抗試合で活躍しているが、そのような記録は残っていない。
大名(だいみょう)
将軍の直臣のうち、1万石以上の知行(ちぎょう。幕府や藩が家臣に与える、領地から年貢などを徴収する権利)を与えられた武士。