剣術、すなわち刀剣を持って戦う術は、江戸時代初期には兵法に含まれた。軍勢を動かす方法を考察する学問や、剣を中心とした武術を兵法と称したのである。剣術の技能をもって諸国を旅する武芸者も、兵法者と呼ばれている。剣の技術や道を教える書物として成立したのが、将軍家兵法指南の柳生宗矩(やぎゅうむねのり)による『兵法家伝書(ひょうほうかでんしょ)』であり、完成したのは寛永9年(1632)である。ここでは、弓矢・太刀・長刀(なぎなた)などを「兵」と称し、兵は人を殺すよくないものだが、一人の悪を殺して万人を生かすために必要だとする。これが「殺人刀(せつにんとう)」で、刀の使い方や軍勢の動かし方を述べている。巌流島での佐々木小次郎との試合で有名な宮本武蔵によって書かれたとされる『五輪書(ごりんのしょ)』は、2本の刀を使う二天一流(にてんいちりゅう)を説き、姿勢や目の付けどころ、太刀の持ちよう、足づかい、打ち込み方などを解説している。宗矩の兵法が人を活かし、政治を指向したのに対し、武蔵の兵法は戦いにおいて人に勝つことを強調していることは、両者の立場の違いを反映していて興味深い。