17世紀後半からの江戸幕府の支配理念を表現する用語。「文治」は儒教の教典の一つ『礼記(らいき)』からとったもので、それまでの武力で大名や民衆を支配しようとする政治から、儒学などの理念を普及させることによって社会秩序を安定させるという政治の傾向を指す。3代将軍・徳川家光までの政治は、幕府以外は朝廷も大名も牢人(浪人)も外国もすべて敵視し、自己の財力と武力で押さえつけようとした武断政治だったが、4代将軍・家綱政権は、末期養子の禁令(まつごようしのきんれい)を緩和し、戦国時代の遺風と見られた殉死を禁止するなど文治政治への転換を図ったとされる。ただし、幕府の制度や法律の整備は幕初から進められ、家光政権にいたってかなり整備されたし、一方、家綱政権にいたっても幕府の大名や民衆に対する姿勢は武力を背景にしたものであった。したがって、この用語は、江戸幕府が成立して次第に社会秩序が安定していくという傾向を象徴的に示すものにすぎない。
幕府(ばくふ)
武家の政府で、もともとは近衛大将や征夷大将軍の居所を指したが、鎌倉幕府以来、征夷大将軍に任じられた武家が政治を行う場所やその政府のことをいった。
大名(だいみょう)
将軍の直臣のうち、1万石以上の知行(ちぎょう。幕府や藩が家臣に与える、領地から年貢などを徴収する権利)を与えられた武士。
儒学(じゅがく)
儒教、すなわち孔子の思想に基づく信仰や教えの体系。
将軍(しょうぐん)
幕府の主権者で、形式的には朝廷から任命される。正確には征夷大将軍で、大臣を兼ね、正二位に叙された。
朝廷(ちょうてい)
天皇が政治を行った政府。数々の儀式や祭祀も行った。
浪人(ろうにん)
主君を持たない武士。領地や地位、俸禄などを失って落ちぶれた「牢籠(ろうろう)」の身にあることから、本来は「牢人」と書いた。
武断政治(ぶだんせいじ)
強大な武力を背景に、他の政治勢力や人民を支配する政治をいい、主に17世紀前半の江戸幕府の政治傾向を指す用語として使われる。文治政治の対立概念。
末期養子の禁令(まつごようしのきんれい)
跡継ぎのいない武家の当主が危篤となったとき、急ぎで養子をとること、すなわち末期養子をとることを禁じた令。大名の家が途絶える弊害があり、慶安4年(1651)に、50歳以下の武家当主に限って末期養子を認めることとなった。