強大な武力を背景に、他の政治勢力や人民を支配する政治をいい、主に17世紀前半の江戸幕府の政治傾向を指す用語として使われる。慶長8年(1603)に成立した江戸幕府は、初代・徳川家康、2代・秀忠、3代・家光の時代に政治基盤を確立する。その間、主家であった豊臣家を滅ぼし、豊臣政権下の有力大名であった福島正則や加藤忠広らをはじめとする多くの大名を改易し、またキリシタンの民衆蜂起であった「島原の乱(寛永14年[1637])」を鎮圧して虐殺し、ポルトガル人を追放して鎖国を断行するなど、厳しい姿勢で政治に臨んだ。この政治基調を、4代将軍・家綱以降の文治政治に対比して武断政治と呼ぶ。武断政治の本質が「領主間矛盾」であり、それが解消されたことによって文治政治に転換し、以後の政治課題が「領主農民間矛盾」の解決になると説明されることもある。
幕府(ばくふ)
武家の政府で、もともとは近衛大将や征夷大将軍の居所を指したが、鎌倉幕府以来、征夷大将軍に任じられた武家が政治を行う場所やその政府のことをいった。
大名(だいみょう)
将軍の直臣のうち、1万石以上の知行(ちぎょう。幕府や藩が家臣に与える、領地から年貢などを徴収する権利)を与えられた武士。
鎖国(さこく)
江戸時代の対外関係のあり方を示す用語。幕府による貿易統制がなされ、日本人の海外渡航が禁止された。また、外国人も特定の居留地に閉じ込められた。
将軍(しょうぐん)
幕府の主権者で、形式的には朝廷から任命される。正確には征夷大将軍で、大臣を兼ね、正二位に叙された。
文治政治(ぶんちせいじ)
17世紀後半からの江戸幕府の支配理念を表現する用語で、武断政治の対立概念。「文治」は儒教の教典の一つ『礼記(らいき)』からとった言葉で、儒学などの理念を普及させることで、社会秩序を安定させようという政治傾向のこと。