江戸にあった漢方医の医学教育機関。現在の大学病院のような施設で、明和2年(1765)、奥医師・多紀元孝(たきもとたか)の願いにより設立が許可され、神田佐久間町の天文台跡地1500坪余が与えられた。当初は多紀の私塾で躋寿館(せいじゅかん)という名で、多紀が館主となり、10人ほどの教諭が置かれた。医学館の生徒は、寄宿舎に入る者と通いの者がおり、講義を受け、臨床実習も行われた。寛政3年(1791)、老中首座・松平定信によって官立の施設とされ、毎年春と秋に、幕府の御番医(ごばんい)や将軍の奥医師への考試(選抜試験)が行われるようになった。このため、幕医の子弟はこぞって聴講するようになった。文化3年(1806)には、火事により下谷新橋通に移転した。
漢方医(かんぽうい)
中国医学の影響下で発達した、日本独自の医学。
老中(ろうじゅう)
通常、江戸幕府の政務を統轄する最高職で、若年寄の補佐を受け、日常政務を執行する。
幕府(ばくふ)
武家の政府で、もともとは近衛大将や征夷大将軍の居所を指したが、鎌倉幕府以来、征夷大将軍に任じられた武家が政治を行う場所やその政府のことをいった。
将軍(しょうぐん)
幕府の主権者で、形式的には朝廷から任命される。正確には征夷大将軍で、大臣を兼ね、正二位に叙された。