解剖のこと。日本の近代医学は、解剖学から始まった。宮中に務める漢方医だった山脇東洋(やまわきとうよう)は、漢方医学の説く五臓六腑説(五臓は、肝臓、心臓、脾臓、肺、腎臓。六腑は、胆のう、小腸、胃、大腸、膀胱、三焦[さんしょう。架空の臓器])が正しいかどうかを、解剖によって臓腑を観察する腑分けによって確かめることを思い立った。宝暦4年(1754)、山脇は、京都所司代で若狭(福井県)小浜藩主・酒井忠用(さかいただもち)の許可を得て行われた(願い出たのは小浜藩医・原松庵[はらしょうあん]ら3名)、斬首刑となった男囚の腑分けの立ち会いを許され、その成果を『蔵志(ぞうし)』として出版した。これは蘭方医に大きな刺激を与えた。明和8年(1771)、江戸の小塚原で女囚の腑分けを見学した蘭方医・杉田玄白(すぎたげんぱく)らは、西洋の解剖学書『ターヘル・アナトミア(原著名はAnatomische Tabellen)』の図の正確さに驚き、オランダ語を学んでいた中津藩医・前野良沢(まえのりょうたく)らにこの翻訳をもちかけ、苦労の末、3年後に『解体新書』を出版した。しかし、前野はいまだ十分な翻訳でないことを理由に、『解体新書』に名前を載せることを拒絶した。杉田も、門弟の大槻玄沢(おおつきげんたく)に改訂を依頼し、大槻は文政9年(1826)に『重訂解体新書(ちょうていかいたいしんしょ)』を出版した。
漢方医(かんぽうい)
中国医学の影響下で発達した、日本独自の医学。
蘭方医(らんぽうい)
18世紀半ばに長崎出島のオランダ商館の医師によって伝えられた西洋医学を学んだ医者。