幕府の年中行事は、年始から始まる。元旦には御三家、御三卿(ごさんきょう。「卿」は異体字)、加賀藩主、譜代大名(ふだいだいみょう)、二日には外様大名(とざまだいみょう)、御三家・御三卿の嫡子(跡継ぎ)、布衣役(ほいやく)の旗本、三日は無官の大名や御用達商人などが年始に登城した。三日には能を見る御謡始(おうたいはじめ)がある。これに並ぶ祝日は五節句で、諸大名が登城し、祝儀を言上する。ほかにも、6月16日の厄除けのための嘉祥(かじょう)では将軍から菓子が下され、8月1日の八朔(はっさく)では諸大名から太刀馬代献上があり、10月の最初の亥の日に当てられた収穫祝いの玄猪(げんちょ)では将軍から餅が下される、などの祝日があった。特に八朔は、徳川家の江戸打ち入りの日として重視された。諸大名の登城は、このほか、原則として毎月1日、15日、28日の月次御礼(つきなみおんれい)がある。ただし、登城が頻繁になるのを避けるため、1・2・3・8月の1日、6・7月の15日、3・5・6・8・9・10・11月の28日は月次御礼がなかった。
幕府(ばくふ)
武家の政府で、もともとは近衛大将や征夷大将軍の居所を指したが、鎌倉幕府以来、征夷大将軍に任じられた武家が政治を行う場所やその政府のことをいった。
御三家(ごさんけ)
徳川家康の9男・義直を祖とする尾張家、10男・頼宣の紀伊家、11男・頼房の水戸家のこと。
御三卿(ごさんきょう)
徳川吉宗、家重の子によって創設された三家。将軍家の家族の位置付けで、それぞれ賄領10万石と、江戸城の田安門・一橋門・清水門のそばに屋敷を与えられた。(注:「卿」は異体字)
加賀藩主(かがはんしゅ)
加賀、能登、越中の3国のほとんどを治める加賀藩の藩主で、前田利家を藩祖として、13代・慶寧(よしやす)まで続いた。大名中最大となる102万5000石を誇り、御三家と同様の扱いを受けていた。
譜代大名(ふだいだいみょう)
関ヶ原の戦い以前から徳川家に仕えていた1万石以上の直臣。石高(こくだか)は、筆頭の井伊家が30万石だが、多くは10万石以下だった。
外様大名(とざまだいみょう)
関ヶ原の戦いの後に、徳川家に仕えるようになった1万石以上の直臣。
布衣役(ほいやく)
旗本の中で、従六位相当にあり、幕府から布衣の着用を許された者。布衣は典礼・式典のような公式行事の場で着用する無紋の礼装のこと。
旗本(はたもと)
1万石未満の将軍の直臣で、御目見得以上(将軍に拝謁できる)の者をいい、約5000人いた。
大名(だいみょう)
将軍の直臣のうち、1万石以上の知行(ちぎょう。幕府や藩が家臣に与える、領地から年貢などを徴収する権利)を与えられた武士。
五節句(ごせっく)
季節ごとに定められた節句の中の、人日(じんじつ。正月7日)、上巳(じょうし。3月3日)、端午(たんご。5月5日)、七夕(しちせき、たなばた。7月7日)、重陽(ちょうよう、9月9日)。
将軍(しょうぐん)
幕府の主権者で、形式的には朝廷から任命される。正確には征夷大将軍で、大臣を兼ね、正二位に叙された。