家督を譲って世代交代を行うことをいう。たとえば、徳川家康は隠居したのち、大御所(おおごしょ)として若い将軍の政治を後見した。隠居することが政治からの引退ではなかったのである。一方、仙台藩主・伊達綱宗(だてつなむね)のように、行状に問題があったため、重臣たちから強制的に隠居させられることもあった。一般の武士の場合、主君に対する奉公義務があったため自由に隠居はできず、主君に認めてもらう必要があった。その多くは老衰や病気による隠居である。これが許されると、同時に家督相続も認められた。幕府では、病気隠居は40歳以上、老衰隠居は70歳以上とする慣行があった。しかし、これは願い出て認められるものであるから、幕府には70歳以上でなお勤務を続ける旗本も少なくなかった。隠居すると、別に隠居料という手当てが与えられることもある。また、高齢の親が勤務を続けていると、子は家督相続できず、勤務に出る年齢が遅れるが、親が顕職(地位の高い役職)にある場合は、子が役職に登用されることも珍しくはなかった。庶民では、地域によって隠居の慣行は異なる。東北・北陸地方では、大規模な農業経営が多いことから、いつまでも隠居はせず、農業経営に携わった。畿内では、長男に家督を譲り、次男などを連れて分家隠居する慣行があった。町人では、若いうちに財産を作り、早めに隠居して自由な生活を送ることが理想とされた。
将軍(しょうぐん)
幕府の主権者で、形式的には朝廷から任命される。正確には征夷大将軍で、大臣を兼ね、正二位に叙された。
武士(ぶし)
平安時代(794〜12世紀末)後期に生まれた、戦いを任務とする者。鎌倉時代以降、武士が政権を握ったため、支配階級として政治をも担当することになった。
幕府(ばくふ)
武家の政府で、もともとは近衛大将や征夷大将軍の居所を指したが、鎌倉幕府以来、征夷大将軍に任じられた武家が政治を行う場所やその政府のことをいった。
旗本(はたもと)
1万石未満の将軍の直臣で、御目見得以上(将軍に拝謁できる)の者をいい、約5000人いた。