「不義」は男女の道義に外れた関係を指し、「密通」は既婚・未婚を問わず、男女がひそかに通じ合うことをいう。したがって、合成語である不義密通は、夫のある女性が他の男性と通じることである。江戸時代、妻が不義密通していることを知った夫は、妻と相手の男、すなわち間夫(まぶ)を殺害しても罪に問われなかった。ただし、両者を殺害しなければならず、妻だけを生かすと「未練」とされた。妻が不義密通していることが評判になれば、武士は妻を殺し、間夫が逃亡した場合は、探し当てて妻敵討(めがたきうち)をしなければならなかった。このため、できるだけ不義密通が表沙汰(おもてざた)にならないよう、早めに妻を離縁したり、間夫を殺害し、それを盗賊に仕立てたのちに妻を離縁するようなことも行われた。この慣習は格式を重んじる武士階級ではもちろんのこと、武士以外でも、不義密通に対する罰則は死罪だった。しかし、罰があまりに重いため、離縁を認めたり、金銭などで穏便に済ませたりすることが一般的だったようである。江戸の場合、間夫は女の夫に対し、7両2分渡して解決する慣行があった。一方、大坂では5両ほどだった。
武士(ぶし)
平安時代(794〜12世紀末)後期に生まれた、戦いを任務とする者。鎌倉時代以降、武士が政権を握ったため、支配階級として政治をも担当することになった。