江戸に5~6カ所あった防犯施設。自身番の大規模なものなので大番屋といい、そこで容疑者の調書取りなどもするので、調べ番屋ともいった。八丁堀、茅場町、材木町三丁目・四丁目などにあったが、ほかにどこにあったかはよくわからない。同心が怪しい者を自身番に連れていって調べ、牢に送ることが適当だと思えば大番屋に連れていって留置し、町奉行所の御用部屋同心に報告し、入牢証文を作成してもらう。この入牢証文がないと、小伝馬町にあった牢屋敷が受け取ってくれない。したがって、入牢証文を取るまでの一晩は大番屋に留置する必要があったのである。
自身番(じしんばん)
町の会計である町入用(ちょうにゅうよう)で設けられ、町入用で雇われた書役と町名主や家主たちによる自警組織。江戸に200余〜300ほどあったと見られる。
同心(どうしん)
町奉行所にて、さまざまな掛(かかり)に分かれた与力のもとに配属される役人。町奉行所には100〜120人ほどが勤務した。
町奉行所(まちぶぎょうしょ)
現代の東京都庁と警視庁に、下級裁判所の機能まで持たせたような役所で、北町奉行所と南町奉行所の2カ所であるが、元禄15年(1702)から享保4年(1719)までは中町奉行所もあった。
牢屋敷(ろうやしき)
江戸時代の拘置所や留置場というべき施設で、刑事事件の未決囚を収監する場所。町奉行所直属の牢屋敷は小伝馬町に置かれた。