町奉行所で、奉行が裁判を行う広間に面した庭には、白い小砂利が敷かれていて、これを白洲といった。裁きの場の潔白さを示すためとされており、そのため、裁判を受ける場は、一般に「御白洲」と敬称を付けて呼ばれた。被疑者はこの白洲に座らされ、犯罪事実の取り調べ、すなわち吟味(ぎんみ)を受けた。平民の場合は、筵(むしろ)が敷かれ、罪を犯した武士や僧侶は板縁の上に座らされた。白洲は、裁判を行う象徴的な場であったので、放火・博打・盗賊などの凶悪犯罪を担う火付盗賊改(ひつけとうぞくあらため)も役宅の庭に白洲を敷いて裁判の場とし、代官所や関所などにも白洲がもうけられた。白洲の脇には、突棒(つきぼう)、刺股(さすまた)、袖搦(そでからみ)のいわゆる捕り物の三つ道具が並べられた。被疑者が白洲に引き出されるときは、すでに吟味方与力によって予審が終わっているので、町奉行が白洲に出るのは、初審の人定尋問と判決言い渡しのときの2回だけのことが多かった。
町奉行所(まちぶぎょうしょ)
現代の東京都庁と警視庁に、下級裁判所の機能まで持たせたような役所で、北町奉行所と南町奉行所の2カ所であるが、元禄15年(1702)から享保4年(1719)までは中町奉行所もあった。
武士(ぶし)
平安時代(794〜12世紀末)後期に生まれた、戦いを任務とする者。鎌倉時代以降、武士が政権を握ったため、支配階級として政治をも担当することになった。
捕り物(とりもの)
刑事事件の容疑者を連行する際、抵抗の恐れがあるときに、与力・同心が出張すること。
町奉行(まちぶぎょう)
町奉行所の長官で、寺社地と武家地を除く江戸の行政担当者。警察業務や司法業務を日常的に遂行し、消防や災害救助も行った。