8代将軍・吉宗の時代に、指切や耳鼻そぎの刑の代わりにもうけられた刑。用いるのは棒ではなく、竹片2本を革などで包み、その上を紙縒(こより)で巻いた笞(むち)である。軽敲き(けいたたき)は50回、重敲き(じゅうたたき)は100回敲く。敲く場所は牢屋の門前で、見せしめの意味があった。牢屋奉行・石出帯刀(いしでたてわき)以下、牢屋敷の役人と医者が立ち会い、牢屋敷の下男が打ち役と数え役になり、肩から尻にかけて敲く。このとき、背骨は敲かないことになっており、また気絶するほどには敲かなかった。重敲きの場合は、50回敲いた後、立ち会いの医者が気付け薬を飲ませ、手桶の水を口に含ませて休ませ、打ち役も交代する。数を間違えると罰されるので、数え役は、打ち役が間違えて敲こうとしたときは、自分の身を挺して笞を受けたという。このように回数は厳密だったが、大きな声で泣き叫ぶと、打ち役はつい軽く打つようになるので、囚人は打たれるときは大声で泣くのがよいとされた。
将軍(しょうぐん)
幕府の主権者で、形式的には朝廷から任命される。正確には征夷大将軍で、大臣を兼ね、正二位に叙された。
牢屋敷(ろうやしき)
江戸時代の拘置所や留置場というべき施設で、刑事事件の未決囚を収監する場所。町奉行所直属の牢屋敷は小伝馬町に置かれた。