無役の旗本や御家人をいう。小普請奉行の配下ではなく、役高3000石の小普請組支配の配下になり、小普請組支配組頭が通達や上申を取り次ぐ。無役であるから勤務の必要はないが、小普請金を上納する義務があった。小普請金は、おおむね知行100石につき金2両だった。幕臣の数に比べて役職の数や番士の定員は少なかったから、小普請である旗本や御家人は少なくなかった。そのために集まる小普請金の総額は、天保期(1830~1844)を例にとると、1年間に2万両前後になり、幕府財政に一定の位置を占めていた。3000石以上の旗本や寺社・町・勘定の三奉行など顕職を務めた旗本は、無役であっても寄合(よりあい)という格式が与えられた。勝海舟(かつかいしゅう)の父・勝小吉(かつこきち)は小普請で、江戸の無頼(ぶらい。アウトロー)の者とも付き合う無頼の旗本だった。暇があるだけにこうした不良旗本もいたが、多くは猟官(りょうかん)、すなわち官職を求めて有力者のもとを訪問するなどの運動を行ったり、家計の足しに内職にいそしんだりしていた。
旗本(はたもと)
1万石未満の将軍の直臣で、御目見得以上(将軍に拝謁できる)の者をいい、約5000人いた。
御家人(ごけにん)
1万石未満の将軍の直臣で、御目見得以下(将軍に拝謁できない)の者をいい、約1万6000人いた。
小普請奉行(こぶしんぶぎょう)
江戸城や幕府に関係する施設などの建築や修繕を務める役職。普請奉行、作事奉行と合わせて下三奉行と呼ばれた。
知行(ちぎょう)
幕府や藩が家臣に与える、領地から年貢などを徴収する制度。
幕府(ばくふ)
武家の政府で、もともとは近衛大将や征夷大将軍の居所を指したが、鎌倉幕府以来、征夷大将軍に任じられた武家が政治を行う場所やその政府のことをいった。