諸大名の監察を行う幕府の役職。3代将軍・家光の代の寛永9年(1632)、秋山正重(あきやままさしげ)、水野守信(みずのもりのぶ)、柳生宗矩(やぎゅうむねのり)、井上政重(いのうえまさしげ)の4人が命じられた総目付(そうめつけ)を起源とする。このころは将軍に直属し、諸大名や老中をはじめとする幕府諸役人の動静を探ることが重要な任務であった。井上は、しばしば長崎に行き、貿易やキリシタンの取り締まりを行う宗門改役(しゅうもんあらためやく)を兼ねた。万治2年(1659)に設置され、五街道や橋梁(きょうりょう)を管轄した道中奉行(どうちゅうぶぎょう)は、大目付と勘定奉行各1人の兼任となった。寛文2年(1662)からは老中支配になり、次第に旗本の名誉職的役職になった。主な職務は、道中奉行、宗門改役(しゅうもんあらためやく)の任務のほか、江戸城内における礼式や席次の取り締まり、あるいは諸藩留守居役を呼び、法令等の伝達を行うというものである。役高は3000石高、町奉行や勘定奉行を務めた旗本が、老年になって任じられるものであった。御三卿家老(「卿」は異体字)から異動する者もおり、下三奉行(普請奉行、作事奉行、小普請奉行)や遠国奉行から栄転する者もいた。
大名(だいみょう)
将軍の直臣のうち、1万石以上の知行(ちぎょう。幕府や藩が家臣に与える、領地から年貢などを徴収する権利)を与えられた武士。
幕府(ばくふ)
武家の政府で、もともとは近衛大将や征夷大将軍の居所を指したが、鎌倉幕府以来、征夷大将軍に任じられた武家が政治を行う場所やその政府のことをいった。
将軍(しょうぐん)
幕府の主権者で、形式的には朝廷から任命される。正確には征夷大将軍で、大臣を兼ね、正二位に叙された。
老中(ろうじゅう)
通常、江戸幕府の政務を統轄する最高職で、若年寄の補佐を受け、日常政務を執行する。
勘定奉行(かんじょうぶぎょう)
勘定所の長官で、幕府財政を担当するとともに、幕府直轄領の民政、徴税、司法にもあたり、定員は4人。
旗本(はたもと)
1万石未満の将軍の直臣で、御目見得以上(将軍に拝謁できる)の者をいい、約5000人いた。
留守居役(るすいやく)
諸藩の中級藩士で、江戸藩邸に常駐し、幕府や他藩との交渉を担当した。
町奉行(まちぶぎょう)
町奉行所の長官で、寺社地と武家地を除く江戸の行政担当者。警察業務や司法業務を日常的に遂行し、消防や災害救助も行った。
御三卿(ごさんきょう)
徳川吉宗、家重の子によって創設された三家。将軍家の家族の位置付けで、それぞれ賄領10万石と、江戸城の田安門・一橋門・清水門のそばに屋敷を与えられた。(注:「卿」は異体字)
家老(かろう)
藩士の最高位。現代でいえば、代表権をもつ藩政の責任者で、「重役」ともいわれる。大藩では家格の高い家が世襲した。
普請奉行(ふしんぶぎょう)
老中のもと、江戸城やさまざまな施設の土木工事をはじめ、整備や管理を務める役職。作事奉行、小普請奉行と合わせて下三奉行と呼ばれた。
作事奉行(さくじぶぎょう)
殿舎(御殿)の建築や修理・修繕、管理などを担う土木関係の役職。普請奉行、小普請奉行と合わせて下三奉行と呼ばれた。
小普請奉行(こぶしんぶぎょう)
江戸城や幕府に関係する施設などの建築や修繕を務める役職。普請奉行、作事奉行と合わせて下三奉行と呼ばれた。
遠国奉行(おんごくぶぎょう)
幕府が直轄する地方要地に在勤する諸奉行の一般的な呼称。長崎奉行、京都町奉行、大坂町奉行、佐渡奉行など。