天皇の補佐をする朝廷の役職。寛文3年(1663)に後水尾上皇(ごみずのおじょうこう)が霊元天皇(第112代天皇)のため設置したのが始まり。最初は年寄衆(としよりしゅう)と呼んだが、貞享3年(1686)、鎌倉時代(12世紀後半~1333)にあった「議奏」の職名を復活させた。公家の家格である清華家(せいがけ)、大臣家(だいじんけ)のほか、平堂上家(ひらとうしょうけ)も任じられる。定員は4~5人。最初は若い天皇を補導する役であったが、次第に天皇が側近の公家を任ずるようになった。天皇の仰せを、関白を経て職事(しきじ、天皇の秘書のような役割を果たす蔵人頭[くろうどのとう]のこと)に命じ、また公家からの上申を関白に取り次ぐことを任務とした。上下の意見を取り次ぐ役だから、朝廷内の大小の事件にはことごとく相談にあずかった。朝廷の政治組織は、左・右・内の大臣、大納言、中納言、参議の合議が建前であるが、これは形式的なもので、実際の政治は関白が主宰した。摂政や関白は五摂家(近衛[このえ]、鷹司[たかつかさ]、九条、二条、一条)の回り持ちで、京都所司代や武家伝奏と協議して幕府の意向を忖度(そんたく)しながら、朝廷の先例を墨守する政治を行っていた。そのため天皇は、議奏と万事相談し、議奏を通じて自らの意向を朝廷の政治に反映させようとした。
朝廷(ちょうてい)
天皇が政治を行った政府。数々の儀式や祭祀も行った。
公家(くげ)
朝廷に仕える貴族や五位以上の官職にある官人。最高位の家柄は摂家。次いで、清華家(せいがけ)、大臣家(だいじんけ)などと続く。各大臣の下、文官で大納言、中納言、参議、武官で大将、中将、少将などの官職についた。
関白(かんぱく)
天皇を補佐し、政務をつかさどる役職。幼帝時においては「摂政」といい、成人時にいたると「関白」といった。
五摂家(ごせっけ)
公家の最高の家柄である、近衛(このえ)、鷹司(たかつかさ)、九条、二条、一条の5家。
京都所司代(きょうとしょしだい)
幕府の京都における出先機関の長官で、譜代大名が任じられた。朝廷を監視し、京都の民政・司法を担当し、西国支配の責任者でもある。
武家伝奏(ぶけてんそう)
朝廷と幕府の間の連絡や交渉を担当する朝廷の役職。
幕府(ばくふ)
武家の政府で、もともとは近衛大将や征夷大将軍の居所を指したが、鎌倉幕府以来、征夷大将軍に任じられた武家が政治を行う場所やその政府のことをいった。