西国十四藩が貿易都市・長崎に置いた蔵屋敷の責任者。藩の中級家臣が命じられ、長崎奉行からの指示を国元に伝えるほか、貿易品の調達を行い、通詞や他藩の聞役と交流して情報を収集した。西国十四藩のうち、福岡(黒田家)、佐賀(鍋島家)、熊本(細川家)、対馬(宗家)、平戸(松浦家)、小倉(小笠原家)の6藩は定詰(じょうづめ)と称し、年間を通じて駐在した。薩摩(島津家)、長州(毛利家)、久留米(有馬家)、柳川(立花家)、島原(松平家)、唐津(小笠原家)、大村(大村家)、福江(五島家)の8藩は夏詰(なつづめ)と称してオランダ船が入港する5月中旬から9月下旬まで駐在した。長崎聞役は、それぞれ御用頼みの通詞をもち、オランダ風説書の写しなども入手し、国元に報告していた。また、諸藩の蔵屋敷には、長崎の町役人や貿易商人のほか、長崎奉行所の役人までが出入りし、諸藩の物品調達や情報収集に寄与していた。聞役の寄合は丸山の遊廓で行うなど派手なものだったが、経費があまり認められない藩の聞役は家政に支障をきたす者も出てきた。文政6年(1823)、熊本、対馬、小倉の3藩の聞役が遊廓での寄合には参加しがたいと申し入れ、佐賀、福岡、平戸、大村の聞役と絶交状態に陥っている。
藩(はん)
将軍から1万石以上の石高(こくだか)を与えられた大名が治める、それぞれの地域に設けられた政治機構。
通詞(つうじ)
江戸時代における通訳で、オランダ語の通訳をする者。中国語の通訳者は「通事」と表記された。
オランダ風説書(おらんだふうせつがき)
来航するオランダ人が提出した、世界情勢を記した報告書。寛永18年(1641)、幕府が、オランダ人に海外情勢を報告するよう命じ、以後、入港のたびに提出されるようになった。