江戸時代後期に日本の学者が学んだ西洋の学問をいう。基本はオランダ語の文献を読むことによって西洋の学問を学ぶ蘭学だが、西洋諸国との通商が始まる幕末には洋学という用語が定着した。蘭学は、杉田玄白(すぎたげんぱく)らの医師がオランダ通詞に学びながら解剖学の書物を翻訳することに始まり、語学にとどまらない体系的な知識を発展させることになった。解剖学から開始された医学は、内科、眼科、産科などが学ばれるようになり、医学以外にも薬学、本草学(ほんぞうがく。動植物や鉱物を医薬にする学問)、化学に発展していった。また、天文学も、幕府の改暦事業の必要からオランダの書物によってケプラーやコペルニクスの天文学説が学ばれるようになった。文化8年(1811)、幕府天文方に蕃書和解御用(ばんしょわげごよう)が置かれ、蘭書の翻訳や蘭学の研究が行われるようになった。これは、幕府が公式に蘭学を学問として認知したことを示している。以後、オランダ語を通して西洋のさまざまな学問が研究されるようになった。1840年のアヘン戦争以後は、イギリスへの関心が高まって英語が学ばれるようになり、開国以後はフランス語やドイツ語も学ばれるようになった。こうして蘭学は、西洋の学問の研究という意味で洋学と呼ばれるようになった。
蘭学(らんがく)
オランダ語の書物を読み、訳すことによって西洋の学術を研究した学問。
通詞(つうじ)
江戸時代における通訳で、オランダ語の通訳をする者。中国語の通訳者は「通事」と表記された。
天文学(てんもんがく)
天体のさまざまな現象を観測し、研究する学問であるが、暦(こよみ)の作成の必要から発達した。日本の暦のもととなった中国の暦は、月齢を基本とする太陰太陽暦で、太陽暦とは1年の長さが違うため、2〜3年に一度閏月(うるうづき)を設ける必要があった。
幕府(ばくふ)
武家の政府で、もともとは近衛大将や征夷大将軍の居所を指したが、鎌倉幕府以来、征夷大将軍に任じられた武家が政治を行う場所やその政府のことをいった。
天文方(てんもんかた)
幕府が寺社奉行(のち若年寄)の管轄下に設けた、天文や編暦を担う官職。