アヘン戦争(1840~42)の情報が日本にもたらされたことにより、イギリスへの関心が高まり、長崎ではオランダ通詞によって英語学習が始まった。オランダ通詞・森山栄之助(もりやまえいのすけ)らは、北海道に上陸し長崎に移送されたアメリカの捕鯨船の乗組員から英語を学んでいる。森山は、ペリーが浦賀に来航したとき、通訳を務めたことで有名である。アメリカに漂流し、嘉永5年(1852)に帰国した土佐の船員・ジョン万次郎こと中浜万次郎(なかはままんじろう)は、普請役という、勘定奉行支配下の幕臣に取り立てられ、英語の翻訳や通訳にあたった。幕府の洋学研究教育機関である蕃書調所(ばんしょしらべしょ)でも、350人ほどの修業生のうちの14~15人はイギリス学を学んだという。安政6年(1859)、横浜に行った福沢諭吉は、オランダ語がまったく通じないことに驚き、英語の勉強を始めたという。こうして英語は、次第に多くの者に学ばれるようになっていった。
通詞(つうじ)
江戸時代における通訳で、オランダ語の通訳をする者。中国語の通訳者は「通事」と表記された。
勘定奉行(かんじょうぶぎょう)
勘定所の長官で、幕府財政を担当するとともに、幕府直轄領の民政、徴税、司法にもあたり、定員は4人。
幕府(ばくふ)
武家の政府で、もともとは近衛大将や征夷大将軍の居所を指したが、鎌倉幕府以来、征夷大将軍に任じられた武家が政治を行う場所やその政府のことをいった。