江戸時代末期、幕府が神戸に設けた海軍の教育機関。文久3年(1863)4月24日、軍艦奉行並(ぐんかんぶぎょうなみ。軍艦奉行よりも階級は低い)・勝義邦(かつよしくに。勝海舟[かつかいしゅう])の建言を入れた14代将軍・徳川家茂が直命を下して設置が決まった。しかし、予算不足だったので、勝は門下生の坂本龍馬を福井に派遣し、松平慶永(まつだいらよしなが。松平春嶽[まつだいらしゅんがく])から5000両を援助させるなど準備を行った。元治元年(1864)には、幕府の船の管理や、西国の海防を任されていた大坂舟手(おおさかふなて)が吸収されて組織が拡大し、軍艦奉行となった勝が責任者となった。練習船には「観光丸」と「黒竜丸」があり、入所者には坂本龍馬、紀州藩士・伊達小次郎(だてこじろう。のちの陸奥宗光[むつむねみつ])らがいた。同年、禁門の変が起こると、入所者に長州藩士がいたことから、勝は攘夷派を援助しているとの嫌疑を受け、江戸に召還、罷免され、慶応元年(1865)3月に同所は廃止された。寄宿舎の塾頭であった坂本龍馬は、入所者を集めて亀山社中(かめやましゃちゅう)を結成し、社中はのち土佐藩の後援を受けて海援隊(かいえんたい)に発展した。
幕府(ばくふ)
武家の政府で、もともとは近衛大将や征夷大将軍の居所を指したが、鎌倉幕府以来、征夷大将軍に任じられた武家が政治を行う場所やその政府のことをいった。
軍艦奉行(ぐんかんぶぎょう)
軍艦の調達から操錬技術者の育成にいたるまでを担う役職。
将軍(しょうぐん)
幕府の主権者で、形式的には朝廷から任命される。正確には征夷大将軍で、大臣を兼ね、正二位に叙された。