江戸の魚河岸は、本船町(現・中央区日本橋本町)の河岸地(かしち)にあり、江戸で販売される魚のほとんどを取り扱った本船町は、日本橋から江戸橋までの間の町で、川沿いには魚問屋が建ち並んでいた。この地域には、徳川家康が江戸に入国して以来、魚問屋が勝手に納屋を建て、魚を売買していた。町奉行・渡辺大隅守(わたなべおおすみのかみ)は、見苦しいとして取り払いを命じようとしたが、幕府に鮮魚を上納していることから、店舗建設を条件に認めることとした。この店舗は地主が建てたが、その後、納屋賃をめぐって魚問屋と河岸に接する町の地主の間に争いがあり、魚問屋は、町奉行・大岡越前守(おおおかえちぜんのかみ)に10年間に金3000両の冥加金(みょうがきん)を納めることを申し出た。しかし、河岸地は御用地であり、納屋賃は相対で決めるよう申し渡された。
河岸(かし)
川や堀に沿った陸地のことで、河岸地や河岸端(かしばた)も同様となる。
町奉行(まちぶぎょう)
町奉行所の長官で、寺社地と武家地を除く江戸の行政担当者。警察業務や司法業務を日常的に遂行し、消防や災害救助も行った。
幕府(ばくふ)
武家の政府で、もともとは近衛大将や征夷大将軍の居所を指したが、鎌倉幕府以来、征夷大将軍に任じられた武家が政治を行う場所やその政府のことをいった。
冥加金(みょうがきん)
商工業や漁業に従事する者に課せられた営業税。その業務を独占的に行うことに対する御礼として幕府に上納するもの。