江戸の青物市場は、神田、京橋、本所四ツ目、本所浜町など、各所にあった。中でも神田市場(俗にヤッチャ場[やっちゃば]と呼ばれた)は、神田川と日本橋川に挟まれた地域で、水陸交通の便に恵まれていたから、江戸近郊農村の栽培する蔬菜(そさい。野菜や作物になる植物)類が集中してきた。明暦の大火(明暦3年[1657])のころには、81軒の問屋が営業し、その後も増加していった。神田市場には青物役所が置かれ、有力問屋が青物上納人として幕府に青物類を納入したから、江戸の野菜市場の中では最も重視された。しかし、江戸時代後期には、駒込、本所、千住などの市場が発展し、神田市場の青物流通独占体制は次第に崩れていった。
幕府(ばくふ)
武家の政府で、もともとは近衛大将や征夷大将軍の居所を指したが、鎌倉幕府以来、征夷大将軍に任じられた武家が政治を行う場所やその政府のことをいった。