駕籠屋は、江戸・京都・大坂に辻駕籠(つじかご。町駕籠ともいう)が、街道に宿駕籠(しゅくかご)があった。江戸市中では、延宝3年(1675)、辻駕籠300挺に限って営業を許可した。辻駕籠は、次第に増加し、正徳元年(1711)には1800挺があったが、幕府はこれを600挺に制限した。庶民が駕籠に乗ることは贅沢(ぜいたく)とされたからである。しかし、このような制限令は次第に有名無実化し、江戸時代後期には、各町に駕籠屋があって、庶民に利用されていた。駕籠の仕様は、竹を編んで作った乗り台を畳表状の覆いでかこった四手駕籠(よつでかご)が中心である。庶民用で最上級の駕籠は、四方を板張りにして一部を漆塗りとした法泉寺駕籠(ほうせんじかご)がある。これに乗るには裃(かみしも)を着ける必要があり、武家も利用したという。これに次ぐ「あんぽつ」という簡素な板張りの駕籠がある。街道を行く宿駕籠は、構造はほぼ同じであるが、覆いがない。宿駕籠は、俗に雲助(くもすけ)という人夫が担いだが、途中で法外な値段を要求したりするので、雲助駕籠とも呼ばれて嫌われた。
幕府(ばくふ)
武家の政府で、もともとは近衛大将や征夷大将軍の居所を指したが、鎌倉幕府以来、征夷大将軍に任じられた武家が政治を行う場所やその政府のことをいった。