近世に発達した庶民子弟の教育機関。武士、僧侶、神主、医者などが、副業として行う場合が多い。天和期(1681~84)のころから普及し、18世紀になると特に江戸、京都、大坂などの大都市で激増した。享保期(1716~36)には、江戸だけで800校も開校した。天明・寛政期(1781~1801)には第二の激増期を迎え、天保期(1830~44)にも激増した。中下層の町人まで文字の読み書きが必要になるという社会状況を反映したものといえる。幕末には、城下町や門前町、農村漁村にまで浸透した。江戸時代の庶民の識字率が高いのは、まさに寺子屋の隆盛のおかげである。農村部では、寺子屋が経営として成り立たず、名主などの上層農民や僧侶がボランティア的に教師を務めたが、城下町などの都市部では学問のある浪人が寺子屋経営をすることも可能だった。大都市では女師匠も一定の割合で存在した。これは、女児に対する教育欲の高まりが背景にあった。寺子屋で教えられたのは、主に読み書きで、往来物と呼ばれる教科書があった。商家の多い地域では、算盤(そろばん)の教育も行った。江戸の女児は、琴や三味線といった芸能関係の塾にも通った。これは、武家屋敷に奉公をめざす者の必須科目だったからである。
武士(ぶし)
平安時代(794〜12世紀末)後期に生まれた、戦いを任務とする者。鎌倉時代以降、武士が政権を握ったため、支配階級として政治をも担当することになった。
浪人(ろうにん)
主君を持たない武士。領地や地位、俸禄などを失って落ちぶれた「牢籠(ろうろう)」の身にあることから、本来は「牢人」と書いた。