江戸時代初期、特異なファッションで都市を横行した無頼の徒。「かぶき」は、常軌を逸した精神や行動などをいう「傾く(かぶく)」という動詞が変化したもので、「傾奇」とも書かれる。関ヶ原の戦い(1600)以後、豊臣政権の支配力が弱まった京都で流行した。この風潮は江戸にも広まり、旗本奴(はたもとやっこ。旗本の奉公人)と町奴(まちやっこ。町家の奉公人)の対立などを生んで一種の社会現象となった。かぶき者の主体は、主家を失った浪人や武士に使える武家奉公人であったが、無役の旗本などがかぶき者となることもあった。月代(さかやき。額から頭頂部にかけて剃りあげた部分)を剃らず、総髪とし、作り髭を付け、ビロードの襟を付け、派手な色彩の着物を着て、朱塗りの鞘(さや)を用いるなど、一目でそれとわかる存在だった。戦国時代的な下克上の論理をもつことから、反体制的な存在であり、主従関係よりもかぶき者同士の横の連帯が重視された。しかし、社会秩序が安定してくると、次第に単なる無頼の集団となり、4代将軍・家綱政権期に幕府が厳しく弾圧したことから消滅していった。
旗本(はたもと)
1万石未満の将軍の直臣で、御目見得以上(将軍に拝謁できる)の者をいい、約5000人いた。
浪人(ろうにん)
主君を持たない武士。領地や地位、俸禄などを失って落ちぶれた「牢籠(ろうろう)」の身にあることから、本来は「牢人」と書いた。
武士(ぶし)
平安時代(794〜12世紀末)後期に生まれた、戦いを任務とする者。鎌倉時代以降、武士が政権を握ったため、支配階級として政治をも担当することになった。
武家奉公人(ぶけぼうこうにん)
武士が雇う使用人で、身分によって、若党、中間、小者などがあった。
将軍(しょうぐん)
幕府の主権者で、形式的には朝廷から任命される。正確には征夷大将軍で、大臣を兼ね、正二位に叙された。
幕府(ばくふ)
武家の政府で、もともとは近衛大将や征夷大将軍の居所を指したが、鎌倉幕府以来、征夷大将軍に任じられた武家が政治を行う場所やその政府のことをいった。