慶長18年(1613)12月、徳川家康がキリシタン禁令を出し、2代将軍・秀忠、3代将軍・家光の時代の弾圧により、キリシタンの組織は壊滅した。しかし、キリシタンの一部は、宣教師も教会ももたず、キリスト教の信仰を維持した。そうした集団や個人を隠れキリシタンと呼ぶ。隠れキリシタンは、平戸、生月島、外海、五島、長崎などで、江戸時代を通じて信仰を維持し、現在まで続いている。ただし、宣教師もなく長年信仰を続けてきたため、キリスト教の教義から次第に離れ、仏教、神道、土俗信仰と混成して独自の宗教に変化したとされる。信仰の中心は、キリシタン時代から伝えられるキリストの金属板のレリーフやメダル、聖画などで、納戸の奥深く隠したため、納戸神(なんどがみ)と呼ばれる。五島などでは、慈母観音をマリアの代替物として祀(まつ)ったので、これをマリア観音ともいう。
将軍(しょうぐん)
幕府の主権者で、形式的には朝廷から任命される。正確には征夷大将軍で、大臣を兼ね、正二位に叙された。