京都市嵯峨(さが)の奥にあるのが仇野という地名をもつ墓地であり、また、京都の東山にある鳥辺野は鳥部野とも書くが、むかしは火葬場があった。露と煙がはかなく消え去ってゆくありさまは、人生の無常を感じさせずにはおかず、この世のはかなさをたとえる言葉として記憶される。
〔出〕徒然草(つれづれぐさ)/壇浦兜軍記(だんのうらかぶとぐんき)
〔会〕「おれたちの人生ってなんだったんだ」「働いて働いて、その結果がわずかな退職金で、はいさようならか」「しょせんサラリーマンは仇野(あだしの)の露 鳥辺野(とりべの)の煙よ」