知恵のある者とない者では、甚だしい隔たりがあることをいう。中国の三国時代の、魏(ぎ)の曹操(そうそう)が楊修(ようしゅう)とともに「曹娥(そうが)の碑」の前を通ったとき、「黄絹幼婦外孫齏臼」という、八文字の意味が分からなかった。楊修に聞くと分かったというが、しばらく答えさせずに、道中しきりに考えた。「黄絹」は色のついた糸であるから「絶」の字、「幼婦」は少女であるから「妙」の字で、「外孫」は女子(娘の嫁いだ先の孫)であるから「好」の字、さらに「齏臼」は膾の辛味を受ける器だから「辞」という文字であることに思い当たった。字謎解(なぞと)きの結果は、「絶妙好辞」の四文字である。楊修と照らし合わせてみると、果たして一致した。このとき曹操は、すでに30里を歩いていたところから、楊修と自分の知能の差は、30里あると嘆いたという故事による。
〔出〕世説新語(せせつしんご)
〔会〕「日野君、このあいだ言っておいた各支店の成績だが……」「はい、表にまとめておきました」「手早いね。佐藤君、きみに頼んでおいた資料だが……」「資料ってなんでしたっけ……」「有智(ゆうち)無智三十里とはいえ、ひどい差だな」