江戸後期の料理書に「豆腐百珍」というものがある。当時のベストセラー本のようで、現代同様、柳の下の何匹目かを狙って「甘藷(かんしょ)百珍」とか「海鰻(あなご)百珍」といった類書も続いて出ている。
「豆腐百珍」は、豆腐料理名とその料理についての論評を、尋常品、通品、佳品、奇品、妙品、絶品の6等級に分けて紹介した書物だが、「冷奴」については、あまりにもおなじみなので作り方など書くまでもない、としている。このことからしても「冷奴」は、まさに、大奥からお坊さん、長屋の住人まで、広く親しまれた代表的な夏の献立だったのだろう。
さてしかし、豆腐料理の場合、大概が「湯豆腐」「麻婆豆腐」など分かりやすい料理名だが、「冷奴」はどういうわけでこんな名前になったのだろう。追究してみると、話の始まりは「奴豆腐」なのだという。では、その「奴」とは何か、ということになるのが段取りというもの。
奴は、武家が雇った下僕で、男ぶりを競った。彼らの半纏(はんてん)についた「釘抜紋」といわれる紋が四角。奴凧(やっこだこ)を思い出していただければお分かりかな。あるいは、主人のお供の時に持つ挟み箱が四角。というわけで四角=奴というイメージができ上がった。
ここから、四角く豆腐を切るのを奴に切るといい、四角に切ったものを奴豆腐というようになったようだ。そして、それを冷やしたのが「冷やし奴豆腐」、つまり「冷奴」である。売れない芸者でも、体の冷えた奴でもない。いわば豆腐の冷製か。
とはいえ江戸時代、家庭に冷蔵庫があるわけがない。たぶん、井戸水か何かの冷水で冷やした奴豆腐。すっきりと白い肌、ピシッと立った角、見た目も含め、その涼感を江戸っ子は愛(め)でたのだろう。
葱(ねぎ)、鰹節、生姜(しょうが)、茗荷(みょうが)などの薬味の相方を問わず、生醤油で良し、出汁(だし)を加えたタレで良し。健脳食材・大豆が姿を変えた、クールな料理である。