白鵬が69代目となった「横綱」という呼称、じつは正式な地位名として明文化されたのは1909(明治42)年のこと。それまでは、番付の最高位は大関で、横綱はその大関の中の最強の力士の名誉称号だった。つまり、最高大関、チャンピオンの中のチャンピオン、グランドチャンピオン、それが横綱だったのである。
また、横綱が土俵入りをするときに締める純白の注連縄(しめなわ)のことも「横綱」という。逆にいえば、この横綱と呼ばれる注連縄を締めることができる力士が「横綱」なのである。
元来、相撲は豊作祈願の神事であったので、神との関係は深いのだが、身体に注連縄をつけるとなると、ただ事ではない。力士の身体、あるいはその力士そのものがご神体ということになるのではないか。
それはさておき、太刀持ち、露払いを従えての横綱土俵入りは大相撲の華だが、この土俵入りそのものも神事である。江戸中期、地鎮祭に大関を招き、地踏みの払いの儀式をやってもらっていたという。そして地踏みの儀式を行うことを大関に許した資格が「横綱之伝」。この地鎮祭の形が土俵に移り、4代目横綱の谷風と5代目の小野川が初めて土俵入りを行った。それが今に残る形だとされている。今、横綱を地鎮祭に招くと、いくらかかるのだろうか。
土俵入りの基本は、地を清める四股(しこ)踏み(力足)と、手拍子(拍手)。型には、雲竜(うんりゅう)型と不知火(しらぬい)型の二つがある。せり上がりのときに左手を胸につける雲竜型は攻守兼備、両手を大きく広げる不知火型は攻めの型といわれる。バランスのよい朝青龍は雲竜型、192センチと大柄な白鵬は不知火型がよく似合う。
このように相撲はルーツが神事であり、江戸期などは芸能的ニュアンスも持っていた。大相撲は、オリンピックのような100分の1秒を競う競技というよりは、本来、もう少しおおらかな見方で楽しむべきものなのだろう。