夏の踊りといえば浴衣姿の東京音頭、と思っている人が「よさこい」を見たら、相当驚くに違いない。衣装は、よく言えば、個性的な無国籍ファッション。印象としては、コスチューム・プレーのグループ・ダンスパフォーマンスに近い。
手にしているのは鳴子(なるこ)。田畑の鳥威(とりおどし)の具なのだが、これを振り付けに従って打ち鳴らす。いわばパーカッションである
。この鳴子を使うのと、楽曲に土佐の代表的民謡「よさこい節」を組み込むことが、踊りのルールといえばルールだとか。これが現在、北海道から沖縄まで、全国百数十カ所で演舞されている「よさこい」である。
今や夏の踊りの代表格となった、この日本離れした踊り、発祥は1954(昭和29)年に始まった、四国・高知の「よさこい祭り」(8月10~11日。9日前夜祭、12日後夜祭・全国大会)の「よさこい鳴子踊り」である。
すでに半世紀以上の歴史を重ねたとはいえ、祭り、踊りとしては戦後派。そういう新しい時代感覚と土佐という自由を尊ぶ風土が相まって、振り付けも衣裳も曲のアレンジも自由ということで大発展。とりわけ昭和50年代から若者の圧倒的支持を受けて、爆発的な人気を得た。
「よさこい鳴子踊り」のベース、「よさこい節」は、坂本龍馬など各地で活動した土佐の維新の志士たちによって、全国に広まった。題の「よさこい」は「夜さ来い」、つまり「夜にいらっしゃい」というラブ・コールだと解釈されている。龍馬がお龍の前で歌ったとすれば面白い話だが、あながち空想とも言い切れないような気もする。詞も「土佐の高知の播磨屋橋で 坊さん かんざし買うを見た」というお坊さんの恋物語で始まるのだから、モラルを超えた自由さというべきか。
ともあれ、自由さが受けて、「よさこい」は「YOSAKOIソーラン」「よさ恋」といった名でも全国に広まった。ただ、本場・高知としては、ルーツをお忘れなく、といったところだろうか。「よさこい鳴子踊り」の冒頭の詞も、「高知の城下へ来て見いや」と挑発している。