夜空を流れる星の大河を渡って、牽牛星(けんぎゅうせい)と織女星(しょくじょせい)が年に一度会うという中国の伝説。7月7日の「七夕」の由来だが、七夕と書いて、なぜ「たなばた」と読むのか。それは、川辺で、訪れる神のために機(はた)を織る「棚機(たなばた)」という日本固有の信仰が、中国渡来の七夕の儀式と融合したからである。元々の日程に、和風の読みがくっついたわけだ。
「昔の七夕は、天の川もきれいに見えたんだがなあ」という、旧暦での行事になじんだ年配の方の声が聞こえてくる。現在の新暦(陽暦)での7月7日は梅雨の真っ最中。願いの短冊(たんざく)も湿っぽいのは仕方がない。旧暦(陰暦)の7月7日を現在のカレンダーに当てはめてみると、2007年なら8月19日。これなら晴れ渡った夜空に大きな天の川が架かる確率は高い。
さて、この天の川。微粒星の帯状の集積だということを初めて確認したのは、近代科学の父、あのガリレオ・ガリレイ。今から約400年前の、17世紀初めのこと。もちろん、使用したのは自ら考案したガリレイ式望遠鏡である。
ガリレイのイタリアもそうだが、北半球では晩夏初秋の頃に、天頂に天の川が位置するようになる。したがって、天の川といえば、その季節のものという印象が強い。それはまさに白く光る「天上の大河」である。
「奥の細道」を歩いた俳聖・松尾芭蕉は、梅雨時に最上川の大河を詠み、越後を通過中の旧暦の七夕の頃、現在の8月中旬、この天上の大河を詠んだ。日本の文芸史上に残る名句である。
「荒海や佐渡によこたふ天河(あまのがわ)」
呼称については、エジプトでは「天のナイル」、最も古く天文学が発達した西アジア、バビロニアでは「天のユーフラテス」。さすがのスケールである。英語ではともに乳汁に由来する「ミルキー・ウエー」または「ギャラクシー」。漢名では「銀河」あるいは「銀漢」「天漢」「雲漢」「星河」などとされている。