「夜目遠目笠の内(よめとおめかさのうち)」という言葉をご存じか。失礼ながら、女性が実際よりも何割増しかで美人に見えるという、黄金の3条件だとか。
「夜目」は夜の暗がりの中で見れば、「遠目」は文字通り遠くから見れば、三つめの「笠の内」は菅笠(すげがさ)をかぶっている女性をのぞき見れば、という条件。盆踊り、たとえば阿波踊りの夜、遠くから、女性が菅笠を深くかぶってややうつむき加減に踊っているのを見る、というのは、この3条件をすべて満たしているなどといったら、怒られるだろうか。
さて、そうした3条件は別にして、文句なしの美人を選びたいという欲求は、世界中で昔からあったようだ。ただ、女性を見た目で評価するのはいかがなものか、という論点はよくわかるので、ここでは歴史的なエピソードと最近のニュースということで話を進めよう。
ミス・ユニバース、ミス・インターナショナル、ミス・ワールドが世界3大美人コンテストといわれるが、中でも、よく話題になるのがミス・ユニバース。1959年の7月24日、そのミス・ユニバースの1位に児島明子が輝いた、というニュースが飛び込んできた。
壊滅的な敗戦から十数年、奇跡的な復興といわれながらも、まだ戦争の傷跡が残っていた。そんな頃の新聞・雑誌に、水着姿のすらっとした美女が,頭にティアラをつけて誇らしげに笑っている写真が突然載った。
「エッ、日本の女性が世界一の美女!?」
それは湯川秀樹博士のノーベル賞受賞級の驚きであり、同時に大いに励まされた。そして、それよりちょっと前の1953年にミス・ユニバース3位になった伊東絹子とともに、「八頭身」という、プロポーションを表すことばを流行させ、定着させたのである。
ちなみに、「八頭身」は、身長が頭の8倍という比率で、女性の最も美しいスタイルといわれる。つまり、この頃から、美人の条件が、顔だけでなくプロポーションも含めてというふうに変わっていった。現在の「小顔」ブームも、ここがルーツか。2007年、児島明子から約半世紀ぶりにミス・ユニバースの栄冠に輝いたのが森理世。今度は「内面の美」を含め、また新たな「美人論議」が繰り広げられている。