「二百十日(にひゃくとおか)」は、「二十四節気」の一つである立春(2月4日頃)から数えて210日目の節目の日。ただ、この日は「雑節」なので、暦に記される二十四節気のように、例えば処暑(しょしょ)とか白露(はくろ)とかといった呼称にならず、何日目という、なんとも単純な言い方になった。ちなみに、八十八夜も立春から数えて88日目なのだが、こちらも雑節。日本の農事のリアリティーでいえば、それは種まきの時期、茶摘みの最盛期をいう。
さて、本題に戻ろう。「その日」はなぜ特別な呼称ではなく、単なる数え日になったのか。それはたぶん、実用を優先したからなのだろう。秋の収穫、つまり稲の実りにとって非常に重要な節目の日、決して忘れてはならない「その日」だからこそ単純で覚えやすいほうがいい、ということだ。
実はその立春から数えて210日目、9月1日頃は、ちょうど中稲(なかて)の開花期。そして、それは台風の襲来期に重なる。つまり「その日」は、農民にとっては大変な「厄日」なのである。
しかし、忘れてはならない日とは言いながら、かつての陰暦は年ごとに月日が動いた。したがって、年ごとに、今年の立春はこの日だから、そこから数えて210日目はこの日ですよ、と意識する必要があった。そうした潜在需要にこたえて、江戸時代前期、17世紀後半の伊勢暦や官歴の貞享歴(じょうきょうれき)から、暦へのその年の「二百十日」の記入が始まったという。
天気予報が発達し、稲の品種改良が進んだ現代では、なかなか理解しにくい事情かもしれない。しかし当時の農民にとっては、春から丹精して育てた作物が、一日の暴風雨で無残なことになるかもしれないという恐怖は、そのまま「飢餓」の恐怖に直結していた。そして、その恐怖は厄よけの「祈り」へと向かう。
「風祭(かざまつり)」、それは二百十日の前後に、風雨の災厄から農作物を守ってくれ、風よ鎮まれと祈る、農業国日本の重要な行事であった。かの越中八尾(やつお)のおわら「風の盆」も、二百十日の9月1日から3日間行われる「風祭」の一つなのである。