俗に「風の盆」と呼ばれる越中八尾(やつお、富山県富山市八尾町)の「おわらまつり」。9月1日から3日まで、町をあげての夜の踊りが繰り広げられる。それは元来、風の神を鎮め、豊年を祈願する行事である。ちょうど、「二百十日」の台風襲来の時季。稲の実りを妨げる台風は、農民にとっては最大の災厄。それを除けるための「風祭」は、日本各地で行われた。この八尾の「風の盆」も、その一つといわれている。
発祥は江戸時代初期の元禄15(1702)年、盂蘭盆会(うらぼんえ)に三味線、太鼓、手拍子などで町衆が練り歩いたことという。現在の「風の盆」で唄い踊られる「越中おわら節」には、古調と新調があるが、古調の「あいや可愛いや」という語句は、鹿児島、熊本、長崎の「ハイヤ節」にも見られ、また山形の「庄内はえや節」、青森の「津軽あいや節」も同系。ここに、民謡研究の先駆者、町田佳聲などが指摘した、海流と「港の女」が運んだ九州~日本海側「唄と人情」ルートが浮上してくる。
かたや、新調の語句は、大正期に当時一流の文人がかかわって洗練された。ちなみに「もしや来るかと窓押しあけて 見れば立山 雪ばかり」は小杉放庵(こすぎほうあん)、「八尾おわらをしみじみ聴けば 昔山風 草の声」は佐藤惣之助(さとうそうのすけ)である。
「越中おわら節」は「越中小原節」とも表記されるが、「おわら」の語源については「お笑い節」とか「大藁(わら)節」、あるいは「小原村」関連説など、諸説ある。
近年、この哀調を帯びた民謡と格調ある踊りが注目を浴びて、祭の期間中、全国から多くの観光客を集めている。たぶん、直木賞作家・高橋治の「風の盆恋歌」と、なかにし礼作詞、石川さゆり歌唱の「風の盆恋歌」の大ヒットも貢献大なのだろう。しかし、それにしても、日本の民謡には珍しい胡弓(こきゅう)のしっとりとした調べに乗せて、八尾の伝統的な町並みを夜更けまで流す「おわら」は、心に沁みる。
もともと、町の人だけの静かな祈りの行事。胡弓の音を追いかけて走るような愚行は、ぜひとも慎みたいものである。