相撲は「国技」と呼ばれ、日本を代表するスポーツのようにいわれているが、国技の呼称が生まれたのは1909(明治42)年に相撲興行常設館ができたときのこと。館の完成披露文に、相撲は日本の国技である、といった内容の表現があり、その常設館を「国技館」と称した。以来、新聞やラジオといったマスメディアの発達とともに「国技としての相撲」は定着していった。当時の幹部の先見の明というか、コピーの力恐るべしというか。
英語で相撲は、スモウ・レスリング。格闘技の歴史をひもとけば、古代からエジプトやインド、中国をはじめ世界中に「レスリングスタイル」の力比べはある。相撲は「角力(かくりょく)」とも表記されるが、これは中国の力比べのことなのである。
現在、モンゴル勢やヨーロッパ勢の活躍で「国技の危機」などという向きもあるが、世界最強決定戦として見ればけっこう面白い。
新横綱白鵬の父は、モンゴル相撲の大横綱にしてメキシコ五輪のレスリング銀メダリスト。大関琴欧洲や三役経験者の黒海などは、入門前はジュニアレスリング・ヨーロッパ大会のチャンピオン級なのだから、強いのも納得!
日本の相撲の発祥はレスリングというより、古代の五穀豊穣、豊作祈願の神事。「力士(ちからびと)」に豊穣を託したわけだ。それが天皇家主催の宮中行事となり、奈良朝の聖武天皇の時代、7月7日の七夕の宴の余興となった。そして平安朝に秋の宮廷行事「相撲節会(すまいのせちえ)」(旧暦7月下旬、現在の9月8日前後)として大発展し、豪華絢爛(けんらん)な一大王朝絵巻となったのである。季節はすでに秋。したがって、俳句歳時記は「すもう」を秋の季語としている。