中国や日本で長く用いられてきた暦、旧暦、陰暦といわれるものは、正しくは太陰太陽暦。太陰とは太陽に対する言葉で、月のこと。この暦も、基本的には太陰(月)の満ち欠けで、ひと月や日付を決める暦である。
月の満ち欠けは、地球の生物である人間にとって、太古より最も分かりやすい天文の変化であった。つまり、新月から上弦、そして満月、下弦へという規則的な変化があり、その満ち欠けサイクルは、およそ29日と12時間。そこから、太陰暦では、ひと月を29日と30日の2通りとした。
しかし、これでは本来の1年(太陽年)と11日ほどのズレが生じ、実際の春夏秋冬のめぐりともズレていく。これを修整するために閏月(うるうづき)を入れて年13カ月の年をつくったりした暦が、太陰太陽暦なのである。
ちなみに、ほとんどのイスラム教国で使われているイスラム暦(マホメット暦)は、純粋な太陰暦だが、年ごとに年始が早くなり、暦と季節がどんどん離れていく。そうして、6月が年の初め、などということにもなってしまう。四季のはっきりしている日本などでは、なかなか採用しにくい暦だろう。
日本では明治維新後に、欧米にならって太陽暦(新暦、陽暦)を採用することとなり、旧暦の明治5(1872)年12月3日を新暦の明治6年1月1日とした。これで季節に合致したカレンダーとなったわけだが、逆に月の満ち欠けとはズレが生じ、毎月の15日が十五夜満月というわけにはいかなくなってしまったのである。
さて、四季感の鮮明な日本、「雪月花」を美学の基本にしてきた日本、月を愛(め)でるのが大好きな日本。季節ごとの月も、例えば春の「おぼろ月」、冬の「寒月」のように多彩に表現してきた。しかし、すっきりとした月の美しさ、清々(すがすが)しさは、秋に優(まさ)るものはない。そういう季節感を共通の感覚として、俳句歳時記は、単に月という場合、秋の月を指すこととしている。従って、他の季節の月を詠(よ)むときは、春の月、夏の月などとことわることがお約束なのである。