農事を進める上で、非常に「気になる日」を暦で教えてくれるのが二十四節気。なかでも、春分の日と秋分の日は、とりわけ重要な日である。つまり、春分の日は種や苗にかかわる日として、秋分の日は実りや収穫にかかわる日として、農耕に携わる人々は、遠い昔から毎年の最重要チェックポイントとしてきたのだ。
天文学的にいえば、秋分の日は、太陽が秋分点に達する日、つまり、昼と夜の長さが同じになる日。この日を境に、どんどんと昼が短くなっていく。「秋の日はつるべ落とし」といわれる状況となっていく。
さらにいえば、太陽が真東から昇り、真西に沈んでいく、そういう日でもある。
秋分の日は(春分の日もそうだが)、この真西に日が沈んでいくというところから、仏教とも深い関連が生まれた。仏教においては「西方浄土(さいほうじょうど)」といって、西の方角に阿弥陀仏の極楽浄土があるとされている。涅槃(ねはん)の世界を西方浄土ということもある。このことから、真西に沈む夕日は極楽浄土への道であるとする考えが生まれてきた。この道を「二河白道(にがびゃくどう)」という。「二河」は、人間の怒りの例えである火の河と、執着の例えである水の河。「白道」は、この恐ろしい二つの河に挟まれた細く白い道で、清浄な信心の例えである。
また、その夕日を見て西方浄土を思い浮かべる「日想観(にっそうかん)」という仏道修行もある。あるいは、秋分の日の、昼夜二分というところは仏教の「中道」という考え方とも合致した。
現在の国民の祝日「秋分の日」の趣旨には「祖先を敬い、亡くなった人をしのぶ日」という日本伝統の考え方が反映されている。それと仏教的な考え方が一つのまとまりを見せて、秋分の日は「秋の彼岸の中日」となっているのである。そして、この日を中心に先祖のお墓参りをするのが国民的習慣となっている。