陰暦(旧暦)の日付は、現在の陽暦とほぼひと月半ズレることもある。たとえば陰暦7月7日の七夕は、陽暦では8月後半になったりする。風習を基にした季節感としては、陰暦のほうがピッタリ来るのがわかる。
陰暦は月の満ち欠け、つまり新(朔〈さく〉)月から次の新月、あるいは満(望〈もち〉)月から満月までの時間を基準にした暦。暦は人の暮らしを大きく支配するもの。したがって、月に関する語句は、季節の言葉としてはひときわ多い。季節感を表現の眼目とする俳句では、そのまま月といえば、秋の季語。それほど秋の月は日本人の美意識に深く影響を与えている。その代表例が「中秋の名月=十五夜」である。
しかし、それで終わらないのが日本人独特の感性なのか。我々は古来、名月を過ぎた16日の月「十六夜」の、やや欠けて出る感じも好んできた。「いざよい」の原義は、進もうとして進まない、ためらいの意。その、やや戸惑うような風情が、満月よりも心を揺さぶるのだろうか。
「十六夜」で思い浮かべるのは、歌舞伎では「十六夜清心(せいしん)」。二枚目と立女形(たておやま)の人気狂言だ。女人文学では鎌倉期を代表する「十六夜日記」。園芸では花の一方が欠ける「十六夜薔薇(ばら)」。拍手を送りたくなるようなネーミングである。
この十六夜だけでなく、満月前後の月の姿に我々は様々な心情を託してきた。たとえば14日の月は「待宵月(まつよいづき)」。16日は「十六夜」、続いて17日は「立待月(たちまちづき)」、18日は「居待月(いまちづき)」、19日は「寝待月(ねまちづき)」、そして20日は「更待月(ふけまちづき)」となる。
あるいは、月がなくてもその風情を楽しむ。つまり、月の出の頃の空の「ほの明るい」感じを「月白(つきしろ)」といい、十五夜が曇って月が見えないときも「無月(むげつ)」といってその夜空の気配を愛でる。ここまでくれば、まさに「月の美学」といえるだろう。