菊の原産地は中国で、紀元前300年頃には、すでに「菊」の字が存在した。植物の中で、梅、竹、蘭(らん)、そしてこの菊が、いわゆる「四君子」。君子の高潔な美しさにたとえられて、中国画や日本画の主題、また着物の紋様として大いに好まれてきた。
日本に渡来後、平安時代には貴族の間で栽培され、たとえば9月9日の重陽の節句に行われた宮廷での観菊の宴などは、彼らにとって重要な儀式となった。
江戸時代になって、民間にも栽培が広まった。そして18世紀前後に大輪咲きが開発され、出来栄えを競う「菊合(きくあわせ)」が京都で始まる。19世紀初めには中菊、小菊を使っての「懸崖(けんがい)作り」や変わり咲き、細工物も出現し、江戸の狸穴(まみあな)の植木屋が、菊で鶴や船を作って評判になった。
続いて19世紀の中頃にかけて、江戸の植木村である巣鴨や駒込、そしてあの桜の染井吉野を作った染井あたりで菊人形が作られ始めたという。その後、大阪で評判をとった「生き人形」と融合し、顔や手は生きた人間そっくりの「生き人形」、衣装は「菊細工」という、現在の「菊人形」の原型ができた。そして、テーマを歌舞伎の当たり狂言や世相の話題からとって人気を博した。
こうした催しが明治以降も「両国国技館の電気仕掛けの菊人形」などに引き継がれ、秋の大興行として定着していったのである。
近年における「菊人形」イベントは、東京、大阪の私鉄沿線の秋恒例の呼び物となり、首都圏では昭和50年代半ばまで、多摩川園や谷津遊園などで開催されていた。関西圏では「ひらかた大菊人形」がよく知られていたが、平成17(2005)年の秋で96年の歴史の幕を閉じた。
東京、大阪とも、菊師(菊人形に生きた菊花を織り込む職人)や人形菊(菊人形用に品種改良した、茎が長くしなやかで加工しやすい特殊な小菊)の栽培者の高齢化、後継者不足で、催事の継続が難しくなったとのことである。
ただ、全国的に見ればまだまだ盛況。たとえば「日本最大の菊の祭典」という福島県の二本松市、あるいは山形県の南陽市、茨城県の笠間市、福井県の越前市(旧武生市)などでの「菊人形」は、今もにぎわっている。