11月3日の「文化の日」は、昭和23(1948)年に国民の祝日に制定されたが、「自由と平和を愛し、文化をすすめる日」という制定趣旨に、敗戦という重い経験を経て再出発した平和国家日本の思いがこめられている。さらに、この11月3日という日付そのものが、歴史的に意味を持っている。
まず、前々年の昭和21(46)年の11月3日には、新生日本の象徴ともいえる日本国憲法が公布された。そこから時計の針を戻すと、明治時代の11月3日は、明治天皇誕生日として「天長節」という国民の祝日であった。その後、昭和となってからは、その明治天皇を偲(しの)ぶ日として「明治節」という国民の祝日となった。その、同じ11月3日という日が、戦後は自由と平和をうたい、文化の大切さを称揚するための国民の祝日と変わったのだ。
文化の日の主な行事として、日本の文化を代表する人たちを顕彰する「文化勲章」の授与式がある。式典は皇居の松の間で行われ、受章者には天皇から文化勲章が親授される。
受賞者は芸術、科学、学術など、「文化」の発展、向上に貢献著しいと認められた人々で、文化功労者の中から選ばれる。最近では、平成17(2005)年の日野原重明(医師)や森光子(女優)、18(06)年の瀬戸内寂聴(作家)などの受章が話題になった。
世界的な学者や作家、画家、歌舞伎俳優などが受章者に多いが、いってみれば「文化人」としてはこの上ない栄誉。なりたくてなれるものではない。とはいえ、それほどの権威、栄誉でも辞退者はいる。公になるものではないが、昭和12(1937)年の文化勲章制定以降、昭和30年代初めの河井寛次郎(陶芸家)、42(67)年の熊谷守一(画家)、平成6(94)年の大江健三郎(作家)、7(95)年の杉村春子(女優)の4人が辞退したとのこと。河井は人間国宝、芸術院会員も辞退している。
文化勲章は功成り名を遂げた人がもらうもの、という印象があるが、昭和18(43)年受章の湯川秀樹博士は、そのとき36歳。もちろん歴代最年少受章者で、後に日本人初のノーベル賞受賞者になった物理学博士である。